”サッカー×国際協力”を生業にしたい20代女子の挑戦記録

サッカーが大好きで、国際協力に関心のある20代女子の挑戦を書き連ねます。

初めての長期留学inドイツ・イェーナ

 

f:id:satomiiiiiiin17:20191007005203j:plain

 

ちゃお!さとみです。

 

前回までは国内外でのボランティア経験について振り返りました。

 

今日はさっくりと初めての長期留学inドイツ・イェーナについて振り返りたいと思います。

 

 

なぜドイツだったのか?

大学に入ると同時に、第二外国語を選ぶ必要があり、スペイン語とドイツ語のどちらを取るか迷い、どちらになってもいいように保留にしていたら、ドイツ語になっていた、というきっかけでした(笑)

 

ただ、それが運命だったと、後々感じることとなります。

 

ドイツ語に出会ってからというものの、私は恋に落ちたようにのめり込んでいきました。

知れば知るほど、面白い。もっと、もっと、と求めていました(笑)

 

ドイツ語はなぜか私と相性が良かったのだと思います。

 

そして、このときはじめて「言語を知る」=「文化的背景・歴史・国民性を知る」ことなのだと気づいていきました。

 

そして、2年に進級し、留学に行くことを決意しました。

他の国も見てみましたが、やはり断然ドイツが魅力的に思えました。

 

そして留学に行くことが決まり(無事奨学金も決まった)、

俄然やる気がでて、毎日毎日ドイツ語と向き合っていました。

 

 

いよいよ、現地へ。

 

そして、夏になり、いよいよ出発。

 

初めての長期滞在だったので、色々不安もありましたが

「なんとかなる」とも思っていました。

 

最初の1ヵ月はフランス国境近くのザールブリュッケンという街に滞在しました。

語学学校に通いながら、ホストファミリーの下で暮らすためです。

 

これが、本当にいい経験でした。

初めて外国に家族ができた感覚を覚えました。

家族とは終始ドイツ語でコミュニケーションを取っていたので、この時期にバツグンに伸びた気がします。

 

さらに、学校では各国からの留学生の友達も増えて、英語の練習も同時にすることができました。

 

 

本格的な長期滞在へ

 

その後、イェーナに移り、それから10か月以上過ごしました。

イェーナに移ってからも色々なことがありました。

 

最初の半期は主に、

  • 学校
  • タンデム(お互いの母国語を教え合うパートナー)
  • ルームメイトとのシェア生活
  • サッカーチームへの参加(ドイツリーグ4部のチーム)

に没頭しました。

毎日、授業とタンデムをこなしながら、慣れないドイツ語でルームメイトとコミュニケーションをとり、サッカーをするのは中々大変だったことを覚えています。

でも、それ以上に楽しかったです。

 

 

そして、後期はドイツ語でのコミュニケーションにも余裕がでてきて、

  • サッカーを通じた難民支援の活動
  • 難民の方たちへのドイツ語指導
  • サッカーチームでのプレー
  • タンデムとの国内旅行
  • 親友と呼べるような友達ができる

というようなことがありました。

 

f:id:satomiiiiiiin17:20191007005313j:plain

 

ドイツでのボランティア活動

 

ドイツ語ができるようになったことによって、

ボランティア活動をできたことはとても嬉しかったです。

 

当時2015~2016年はドイツへの難民流入が激しかったので、

イェーナにも多くの難民の方が暮らしていました。

 

彼らと話して初めて、ニュースで聞いていた話が

本当だったんだ、と実感しました。

 

中には、「ドイツまでの道中、怪我をした兄弟を見捨てて、1か月ほど歩いて辿りついた。彼は今何をしているかわからない」

などと寂しい顔で語る青年もいました。

なんと返せばいいのかわからず、言葉に詰まりました。

 

それでも、彼は「ドイツ語を覚えないとここでは生きていけない」と言って

必死にドイツ語を覚えようとする彼の姿に、心を打たれました。

 

そんな彼らはとても優しく私を迎えてくれ、中には難民のために市が建てた住居に招待して、おもてなしをしてくれました。

 

お世辞にも広いとは言えない部屋に、5~6人の家族が一緒に暮らしていたのには驚きましたが、彼らは立派な家に感謝していると言っていました。

 

毎週、彼らに会うのは私にとっても新たな楽しみになっていき、時には一緒にサッカーをしたりもしました。

 

 

それとは別に、大学のプログラムでサッカーを通じた難民の方たちとの交流の機会もあり、それにも参加しました。

大学側では、学生や職員が真剣にプログラムをつくっていて、皆んなが話し合いを重ねる場面には感動を覚えました。

 

 

さらに、街中では時折デモも行われていました。

イェーナは「難民受け入れ肯定派」の人が多かったので、大体は平和なデモでした。

ただ、他の大きな都市(特に右翼が多い街)では危ないデモも多くあり、国内では騒ぎになっていました。

 

 

おわりに

さて、今日はつらつらとドイツ留学での経験について振り返ってみました。

 

次回は、さらにドイツ留学中のことを振り返るかもしれませんし、

次のストーリーに映るかもしれません。(適当w)

 

 

こうやって書いてみると、色々頑張っていたように見えるのですが

実際今になって振り返ってみると、確かに学んだこと・経験できたことは多かったものの、

留学自体のプログラムや、保険・銀行の手続きなど諸々がお膳立てされていました。

 

そのためか、自力で頑張った経験にはあまりなっていないのかもしれない、と感じています。

 

ただし、留学できたこと、留学に行くにあたり協力してくれた方々、ドイツで出会ったすべてに人への感謝は忘れません。

 

それでは、チュース!

 

これまでを振り返ってみる~海外ボランティアとの出会い~

f:id:satomiiiiiiin17:20190905214105j:plain

 

チャオ!さとみです。

 

最近急に涼しくなって体調が落ち着きません...

皆さんはそんなときどのように体調を整えていますか??

さて、前回は私の「ボランティア」との出会いについて書きました。

 

今日はその続きと、「海外ボランティア」との出会いについて書いてみたいと思います。

 

ただ、海外ボランティアとの出会いは、その前に行っていた国内ボランティアの影響もあったので、もう少し国内ボランティアについても触れます。

 

前回は大学1年夏に行っていたボランティアについて書

きましたが、他にも体験したものがあります。

 

長期的なボランティアでいえば、空港での案内ボランティア。

様々な理由で外国から来た方を、空港から次の目的地にスムー

ズに移動できるよう案内するというもの。

 

私の所属していたNPOでは何かしらの国際イベントに合わせて活動していたので、本当に色々な人を案内させていただきました。

少し前のことでハッキリと覚えていることは少ないですが、例えば防災に関する国際学会が日本で開かれるために来た閣僚の方々などです。

 

案内の道中で、貴重な話を聞けたことはとてもタメになりました。

 

それと、海外ボランティアに挑戦する直前に行ったのは、震災復興ボランティアでした。

大学の繋がりで、宮城県山元町のとあるイチゴ農家さんのもとへ。

イチゴ農家のお手伝いはもちろん、近くの仮設住宅

での掃除などもお手伝いさせていただきました。

滞在中は、被災家屋に住ませていただき当時のリアルな状況を肌で感じました。

 

さらに、山元町内はもちろん、近隣の地域の状況まで紹介していただきました。

滞在期間中、自転車も貸し出してくれ、現地の方の暮らしを少しでも感じることができたのも嬉しかったです。

 

被災した小学校を訪問して当時の様子を伺ったり、

震災後も自分らで裁縫や園芸などをするためにコミュニティ運営をしているお婆ちゃんたちに会ったり、

仮設住宅内で定期的にお茶会をしているお爺ちゃんお婆ちゃんたちと話したり。

 

東京でテレビを見ているだけではわからない状況を五感で感じることができました。

本当にたくさんのご縁に恵まれ、貴重な経験となりました。

 

 

 

そして、今日の本題。

 

 

海外ボランティアとの出会い 

 

f:id:satomiiiiiiin17:20190905213142j:plain

子どもらが通う施設で仲良くなった女の子たちと。

私がそれまで色々な国内ボランティアに携わって感じたこと。

それは、海外はどんな状況なんだろう?という率直な疑問でした。

そこで、大学1年の春休みを利用して海外ボランティアに挑戦してみることにしました。

 

当時、学内のPBL(Project Based Learning)制度を利用してフィリピン国内で新しいプロジェクトを立ち上げるべく勉強をしていたので、実際に現場を見てみようと思ったことも同期の一つ。

 

当時から海外ボランティアを体験できるスタディーツアーを提供しているNPO/NGOはたくさんあったので、どのプログラムに参加するべきか結構悩みました。

 

なぜ悩んだかというと、純粋な「現地への貢献」活動をしている団体を探すのが大変だったからです。

 

 

各団体では「途上国で起業体験!」とか、「大学生同士で力を合わせて小学校を建てよう!」などのプログラムを提供していましたが、HP等を見ても純粋に現地への貢献を目指しているのか不明に映るところが多い印象でした...

スタディーツアーもビジネスなので仕方ないのですが。)

 

最終的に私が選んだのは、HISとAWPSという団体が企画していた、現地で長年活動しているNGOの活動に携われるツアーです。

これは日本の団体と現地の団体の連携があるからこその企画でした。

”見せる”ためのものではなく、実際の活動を見たいと思っていた私にとってピッタリの企画でした。

https://eco.his-j.com/volunteer/tour/AWPS-MNL002

 

ツアー内では、”NGOカンルンガン・サ・エルマ”というフィリピン・マニラのスモーキーマウンテンで生活する方々を保護・支援しているNGOでの活動を共にしました。

NGOでは、主にソーシャルワーカーの方たちが働かれていました。

彼らから実際に現地はどのような状況にあるのか、どんな課題があり、それに対してどんな手を打っているのか、などなど国際協力についてまだまだ知識の浅い私にとって、とても勉強になるツアー内容でした。

 

ストリートチルドレンと呼ばれる子どもらと触れ合ったり、

汚水が流れる用水路の上に掛かる橋の狭いスペースに暮らしている人々の生活を知ったり、

スモーキーマウンテンでの暮らしの過酷さを目の当たりにしたり、

そこで出会った子どもたちの楽しそうな様子を見て悶々としたり、、

 

見るもの、聞くものの全てが新鮮で一気に価値観を揺さぶられた体験でした。

 

ツアーの合間には、現地での食事や自然を楽しんだり、共に参加した仲間と語りあったり、と充実した時間となりました。

 

話はそれますが、

この頃から、海外に行くなら旅行だけではなく、

「何か一つ目的を持って渡航し、その隙間時間で観光や余暇を楽しむ」

というスタイルが自分には合っているなと感じていたように思います。

 

ということで、ざっくりではありますが初めての国際ボランティアの体験を紹介しました。

 

このスタディーツアー参加をきっかけに「国際協力」の世界に足を突っ込んだ私は、

この後、積極性や興味関心、行動力がさらに増したと思います。

 

私の国際協力ライフは、まだまだ続きます。

 

次回は、初めての留学について紹介します。

 

 

それでは、チャオ!

 

 

 

これまでを振り返ってみる~ボランティア活動との出会い~

 

f:id:satomiiiiiiin17:20190825225527j:plain

 

チャオ!さとみです。

 

 

前回の記事では、来年からの進路について書きました。

 

そして、その進路を見据えたとき、これまでの経験の影響を大いに感じたため、これまでの体験・経験を振り返ってみることにしました。

 

最近、私と知り合った方は知らないことばかりだと思うので、自己開示の一環として書いていきたいと思います☺

 

「ボランティア」との出会い

私が、ボランティアと出会ったのは大学1年のときでした。

大学では、国際交流・国際協力専攻という珍しい専攻に属していたので、「ボランティア活動」にどっぷり浸れる環境でした。

 

 

1年生のころから世界情勢や、国際ボランティアや、語学などの授業をとっていましたが、一番行動力を上げてくれた授業がありました。

 

それは、「社会活動演習」という授業でした。

授業の中ではボランティアに関することを広義に学び、授業後の夏休み期間中に地域や海外でボランティア活動を行います。

その成果発表をもって成績がつくというものでした。

 

当時の私は、この授業を受けた影響もあり、国際協力というよりは、ボランティアそのものに関心が高かったので、先生が推薦してくださった地域でのボランティア活動を行うことにしました。

 

私がその夏に行ったボランティア活動は主に3つでした。

 

  1. 病院の入院患者さんに対する傾聴ボランティア
  2. 車いすダンスボランティア
  3. 国際イベントの運営ボランティア

 

一つずつどんなことをしていたのか振り返ってみます。

 

1.病院の入院患者さんに対する傾聴ボランティア

 

夏休み期間の2ヵ月ほど、地元の病院で行いました。

ここの病院では、ボランティアの方々が入院している患者さんの心を癒すために傾聴ボランティアを行っており、当時既に長期でボランティアに参加している方が多くいらっしゃいました。

 

患者さんらは様々な理由で入院されていましたが、その病院ではご年配の方が多く入院していらっしゃったのを覚えています。

 

傾聴ボランティアと言っても、いきなり知らない人が「話を聞きにきました」と行っても、誰も話す気にはなりません。

そこで、ボランティアさんらは患者さんの手足にアロママッサージを行っていました。

 

そのためまず私もアロママッサージの方法を教えていただき、ある程度香りの説明や、マッサージが自然に行えるようになってから、実際に患者さんにマッサージを受けていただきました。

 

最初こそとても緊張したのですが、マッサージを始めると自然と会話ができて、慣れていきました。

 

ボランティアを始める前は”どんな話をすればいいんだろう”などと考えていましたが、

そんなことを考える必要はあまりなくて、ただただ会話のキャッチボールを自然と行えばよいのだということに気が付いたのです。

 

マッサージが終わったころには、自然と笑顔で話してくれる患者さんも多くいて、心も体も癒されているような雰囲気を感じました。

 

このボランティア体験を経て、

  • 人と接するとは、話すことは、どういうことか

を実体験をもって学ぶことができ、とても良い経験となりました。

 

2.車いすレクダンスボランティア

 

こちらも夏休みの2か月を利用して、地元の施設で行いました。

 

車いすレクダンスについて何も知らなかった私でしたが、純粋に「楽しそうだな」と思って行くことにしました。

 

車いすレクダンスというのは、車いす常用者と健常者が共にダンスをするというもので、様々な施設で行われているそうです。

 

まず、施設では車いすレクダンスを行うにあたり、注意するべきこと、心がけるべきことなどを教えてもらいました。

 

特に気をつけなければならないことは、

常に健常者が車いすに乗っている方のペースに合わせなければならない

ということでした。

 

車いすに乗っているということは、健常者にはわからない不便が何かしらあり、それを察して動かなければいけない、ということでした。

 

大変そうじゃないか、動きづらそうじゃないか、楽しそうにできているか、を

自分自身が楽しみながら察することが必要でした。

 

最初こそ、「知らないうちに無理をさせていたらどうしよう」などと不安もありましたが、

慣れていくうちに、気を遣いながらも、ダンスを楽しめるようになりました。

 

車いすレクダンスでは、

みんなで輪になって、曲に合わせて順番にパートナーを変えていくダンスをよくやっていたのですが、

そのダンスをやると、一人ひとり特徴や表情が違うことがよくわかり、短い時間ではあるものの様々な方と心を心を通わせることができている気がして楽しかったです。

 

なにより、曲が終わった後の安堵感と達成感に溢れた場の一体感が素敵でした。

 

何日かボランティアを行い、講習を受けたりテストを行ったりもしました。

無事、全ての課程を修了して車いすレクダンスインストラクターの資格をもらいました。

(ただ、毎年活動を続けていかないと無効になってしまう)

 

このボランティア体験を経て、

  • 相手の表情を読み取る、察することの大切さ
  • 相手に合わせて自分が動くことの大切さ

を学びました。

こちらも私の中でとても貴重な経験の一つとなっています。

 

3.国際イベントの運営ボランティア

 

そして、3つ目はイベント運営ボランティアです。

 

東京では毎週のように国際イベントが開かれていて、ほぼ全てのイベントでボランティアを募っています。

 

私は1~2年生の間、頻繁にイベントに参加者としてでなく、運営ボランティアとして参加していました。

 

忍者イベント、フードイベント、体験型イベントなどなど色々なものがありますが、私はそのイベントで主に外国人参加者のサポートをしていました。

 

困っている人がいたら声をかけたり、道を聞かれたら案内したり、、当時はカタコトの英語しか話せなかったですが、気合いで乗り切りました。

 

イベントを手伝わせてもらうにあたって、大変なこと、気を遣うべきこと、チームの大切さ、達成感、楽しいことなど様々なことを学ばせてもらいました。

 

特に、

  • 適切な場所に、適切な人材を配置することの大切さ

は色々なイベント運営を肌で感じて学んだことでした。

ここでの学びはその後、自分自身がイベントをオーガナイズする際の糧になったと思います。

 

f:id:satomiiiiiiin17:20190825225519j:plain

 

さて、今日は大学1年で私が出会った「ボランティア活動」について紹介しました。

 

「ボランティア」に対しては、皆さんそれぞれの意見があると思いますが、

大前提としてボランティアは長期で行うべきものであることは間違いないです。

しかしながら、私が行ったようにたとえ短期でも体験したからこそ良さがわかったり、興味関心が広がったりすることは大いにあります。

 

それに受け入れる側も、初めから短期でもいいよと言ってくれているのであれば、若者だから・学生だからというスタンスで寛容な場合がほとんどです。

 

私は学生や若者であれば、たとえ長期でできないとしてもまずはどんどん足を延ばしてみることが大切だと思いました。

それは、どこにどんな出会いがあるかわからないからです。

 

ボランティアもバイトも、最初から長期でやると決められるほど、「それが本当に自分のやりたいことかどうか」なんてわかりません。

 

だから、若いうちはどんどん興味の赴くままに挑戦してみたらいいんじゃないかな?と思っています。

もちろんケースバイケースではありますが。

 

 

さて、次回は、ついに自ら海外に飛び出した体験について書きたいと思います。

 

それでは、チャオ!

 

 

 

 

新しいチャレンジ

f:id:satomiiiiiiin17:20190818214011j:plain

 

チャオ!さとみです。

 

久しくこちらで記事を書いていませんでしたが、色々あって少しずつ発信にも力をいきていきたいなと思っています。

 

全て自己満にすぎない記事ですが、記録用として頑張っていきます!

 

まずは、タイトルにもある通り私の人生における

新しいチャレンジ

について。

 

 

先日、JICA海外協力隊の合格通知を受け取り、来春からジンバブエのブラワヨに派遣予定となりました!

 

職種はサッカー隊員で、SRC(Sports Recliation Center)が配属予定先です。

SRCはスポーツ省のようなもので現地のスポーツの大会や団体・チームなどを管轄している組織です。

 

私はそこに配属され、大会の企画運営や、団体・チームの管轄、国際会議への参加等が予定されています(仮)

 

 

(仮)としているのは、協力隊の応募調書」と呼ばれる派遣先での活動内容を記載した書類は、あまり当てにならないと考えているからです。

 

なぜなら、その応募調書は私たち協力隊応募者の手に渡るまでで既に1年以上(場合によりけり)の時が経っていることがほとんど。

 

ということは、その応募調書に記載されている内容はすでに現地では必要とされていない可能性も高いということです。

また、何よりその応募調書を書いているのは現地のJICA関係者なので、外部者目線である可能性が高いことも考慮する必要があります。

 

 

このような理由から、応募調書に記載されている活動内容は良い意味であまり頼りにしていません。

 

なによりまずは、現地に行って、現地の人や環境を知り、課題・ニーズを知るところがスタートだと思っています。

 

 

ということで、これから私は協力隊に挑戦することになりました。

 

そして、その挑戦が始めるまでの時間を利用して

 

  • 私がなぜ協力隊に挑戦しようと思ったのか
  • それまでにどんな経緯があったのか
  • 協力隊を終えたあとのビジョン

 

について

 


振り返りながら書いてみたいなと思います。

 

 

以前、パルクールという競技で成功した友人が言っていました。

 

「5m先のビルに飛び移りたいと思ったら、まず何をしなければならないか。

それは今現在、自分が何m飛べるか知ることだ。」

と。

 

次のステップが明確なのなら、己を知るところがスタートラインなのだと、彼が教えてくれました。

 

 

ということで、まずは次の記事で、私が協力隊に応募しようと思った経緯について書きます。

 

それでは!チャオ!

 

 

 

 

モスタルでのライフハック⓶

f:id:satomiiiiiiin17:20180823102619j:plain

 

チャオ!さとみです。

 

今回も、前回に引き続きモスタルボスニア・ヘルツェゴビナ)でのライフハックについて書きます。

 

1.タバコ嫌いじゃ生きてゆけない

 

モスタルに限らず、ボスニア国内全体で喫煙者が非常に多いです。

また、喫煙に対するマナーなど無いに等しい。

日本のような場所を喫煙場所を制限する法律もありません。

 

さらにボスニアはタバコの生産が盛んで、税金も低い。

だから、タバコが激安。安いものであれば1箱150円くらい。

ヘビースモーカーにとっては天国です。

 

そのためレストラン、カフェ、道端、どこでもタバコの煙だらけ(笑)

 

私自身もこちらに来た当初は、「煙と一緒にご飯食べたくない!」「煙と一緒にコーヒー飲みたくない!」って感じでした。

 

でも、時が過ぎてみれば自然と慣れて(というか慣れるしかない)、今では煙あってこそのボスニアって感じです(笑)

 

ということで、

煙への耐性をつける、もしくは煙に慣れる努力をしましょう。

避ける方が到底難しいので。

 

 

2.コーヒーは1日に〇〇杯!?友を誘うならとりあえず「コーヒー」

 

かつて、長きにわたりオスマン帝国に支配されていたボスニア・ヘルツェゴビナ

食文化、生活習慣、様々なものが伝来しました。

 

中でも大きく影響を受けたのが、コーヒー文化。

モスタルに限らずボスニア国内では、コーヒーの需要が超あります。

 

普通のカフェではエスプレッソ、オルドタウン周辺のカフェではボスニアコーヒー(もしくはトルココーヒーと呼ばれる)がよく飲まれます。

家庭でもボスニアコーヒーが好んで飲まれています。

 

ボスニアコーヒーは一般的なコーヒーに比べ、粉っぽく、濃ゆーい味が特徴です。

 

地元の人は、コーヒーを毎日の習慣のように飲みます。

頻度は、1日に2~3杯ほど。

老若男女問わず、コーヒーが大好きです。

 

また、「コーヒー」は様々な意味を持ちます。

友達とのお喋りのためのコーヒー、暇人同志でカフェにいく暇つぶしコーヒー、ビジネス交渉のための探り合いコーヒー、気になる人をどこかへ誘うためのアピールコーヒー、、。

 

昼間、夕方、夜だいたいいつでもカフェには人がいます。

人々に根付いたコーヒー文化を感じます。

 

ということで、友達に何か会う用事がある時は

とりあえず「コーヒー行こう」と誘むのが無難。

 

もちろん、コーヒー以外を飲んでもいいですが、なんせコーヒー以外は高い(笑)

よく飲まれるエスプレッソは1杯80~100円ほど。

大抵のローカル人はその1杯を大事に大事に飲むので何時間もカフェに居座ってます。

 

 

3.基本的に急がない、焦らない。合言葉は〇〇!

 

これもまたモスタルに限らず、国内全体で気づくこと。

それは、ローカル人が基本的に「急がない、焦らない」ということ。

 

街中で走ってる、早歩きする、さっさと話を終わらせようとする人を滅多に見かけません。

とにかく、全てがゆっくり。

 

そんな地元民がよくいう言葉があります。

「ポラーコ、ポラーコ」

これは現地語で「ゆっくり、ゆっくり」という意味です。

 

物事がややこしくなったとき、議論が白熱したとき、失敗したとき、興奮・焦りを感じたとき、、、

とにかくいつでもこの一言。

 

身の回りで将来のことや、仕事のこと、何かしらに不安や焦りを感じている人がいたら

とりあえず「ポラーコ、ポラーコ」と声をかけてあげましょう。

 

私もこちらに来てすぐの頃は、正直地元の人に対して「いや、いつもいつもゆっくりしすぎ!怠けすぎ!」なんて思っていました。心に余裕がなかったんです。

 

でも、「焦ってみても仕方ない。」「なんとかなるから大丈夫だ。」

そんな風にいつも地元の人に言われてきました。

 

そして今では私が周囲の友人に対して「ポラーコ、ポラーコ」と言えるようになりました。

 

時の流れがゆーっくりに感じるモスタルボスニア)では、時間や月日を意識しすぎると地元の人とは話が合わないことが多いかもしれません。

 

 

以上、モスタルボスニア・ヘルツェゴビナ)でのライフハック⓶でした!

次回もお楽しみに!!

 

モスタルでのライフハック⓵

 

f:id:satomiiiiiiin17:20180817061933j:plain

チャオ!さとみです。

 

いつも通り久しぶりの更新となりました。

まあ、マイペースにやっていきます。

 

さて、今日はモスタルボスニア・ヘルツェゴビナ)でのライフハックについて書きます。

これは一記事でまとまる自信がないので連載のようにしたいなぁ。

 

今日は、3つくらいまとめてお伝えします。

 

1.道端で知り合いに会ったら、とりあえず「チャオ!」

モスタルは人口10万程度の小さな街です。

特に街の中心は全て歩いて回れるほどコンパクトです。

ということは、街を歩けば必ず知り合いに会います。

 

東京だったら、街中で知り合いに会うことってあまりないですよねえ。

だから、会った時は「おー!」という感じになる。

 

でも、ここモスタルでは皆んなその辺歩いてるのが普通なんで、

「あ、また会った」みたいな感覚になります。

 

で、そんなモスタルのローカルな知り合いに道端で会ったとき

どんな反応をしたらいいのか?

何と言うべきか?

 

答えは簡単。

 

笑顔で片手を挙げながら「チャオ!〇〇(相手の名前)!」と言えばOK。

 

もちろん、個人差はあります。

でもこの仕草と一言で、自然かつ愛想良い感じを相手に伝えることができます。

 

チャオ!という挨拶は、イタリアを連想する方が多いかもしれませんが

ここモスタルに限らず、バルカン半島諸国ではよく使われる簡単な挨拶です。

 

 

2.ジョークにジョークで返すセンスを身に着けるべし。

ここモスタルボスニア・ヘルツェゴビナに限らず、バルカン半島ではジョークの需要がめちゃめちゃあります。

現地の人は、なんでもジョークにしてしまいます。

時として、きっつい内容も(笑)

 

でも、意味が分かるとまじで面白いジョークもたくさん。

現地の人はよくカフェやバーでお喋りを楽しみますが、その間ジョークもたくさん出没します。

 

さて、誰かがジョークを言ったとき、あなたならどんな反応をしますか?

 

 

日本だったら、とりあえず笑う、が一般的ですかね?

ここでは、それでは「面白いやつ」には到底なれません。

 

誰かがジョークを言ったら、ジョークで返しましょう。

 

誰かがジョークを言ったあと、笑うだけ、もしくは真面目な返事をしたらシラケます。

頭をフル回転させて、少しでも面白い返事を瞬時に考える癖をつけましょう。

 

 

ちなみに、私はこれ結構苦労しました(笑)

 

最初の方は「日本人はまじめだな」って言われるくらいつまんない返事しかできなかったです。

でも回を重ねることにどんな感じで返せばいいか、わかってきました。

 

ジョークにうまい返事ができるようになると、場がとても盛り上がって気に入ってもらえますよ。

 

 

3.現地人の話は、話半分で聞くべし。

「人の話はちゃんと聞け。」と教育されてきた私。

ですが、私はここモスタルに来てからその感覚が少し変わりました。

 

なぜなら、現地の人が言うことの中には結構でたらめなことも多いからです。

 

ここモスタルでは、民族間での悪口のようなものを仲間内で言うときがあります。

(詳しくはこちらを参照)

satomin17.hatenablog.com

 

違う民族や宗教の人の話をされたときは、特に鵜のみにしないように心がけましょう。

結構根も葉もないことを言ってることがあります。

 

それだけに限ったことではなく、友達の話などもそうです。

先ほども言った通り、モスタルは小さい街です。

真実じゃないことがすごいスピードで噂になって広まったりします。

 

かと言って、何も信じられないわけではありません。

 

「何が真実か」を見極めることが難しく思えるときもあるかもしれません。

でも、心がけていくとはできます。

 

それがモスタルやこの国で暮らすうえでの大切なライフハックかもしれません。

 

 

以上、モスタルボスニア・ヘルツェゴビナ)でのライフハックを3つお伝えしました。

 

次回もお楽しみに。

 

チャオ!

 

 

数字で表せないものの価値について考える

 

f:id:satomiiiiiiin17:20180402001359j:plain

ちゃお!さとみです。

 

現在、私はボスニア・ヘルツェゴビナにて留学&インターンをさせてもらっています。

私のインターン先は「マリモスト」という”民族和解”をテーマとしたスポーツアカデミーを運営するNGOです。

 

今回は、直接活動に関する内容ではありませんが他の場所で得た学びを自分の活動に落とし込んで考えたことを書きます。

 

実は今月3月中の2週間、私はNYの国連本部を訪れていました。

CSW(Comission on the Status of Women)というカンファレンスに参加するためです。

 

こちらのカンファレンスは3月8日の国際女性デーに合わせ、毎年3月中の2週間で行われます。

世界中のNGOから参加者が国連本部に集まり、ジェンダーについて各国・各地域の現状やそれぞれの取り組みを共有します。

その期間中、各国の政府代表も会議を行い国連発信という形で世界共通のジェンダー課題への取り決めを行います。

そして最終日には、NGO・政府代表、全ての意見を踏まえた形で取り決め文書が発表されます。この公式文書発表をもって会は終了です。

 

 

参加の経緯としては、元々ジェンダーに関心があったのはもちろん、それに加えて今後スポーツを通じた女性支援も活動範囲としていきたいこともあって、スポーツとジェンダーという視点で学びを得たいと思ったことがきっかけです。

 

CSWに参加したことで学んだことを簡単にまとめてみると:

  • ジェンダーに関する問題は本当に幅広く、また一般化できないものであること
  • 参加者が年々増加傾向にあること→ジェンダーに関心を寄せる人が世界中で増え続けている(国連に提言したい意欲がある人が増えている)
  • 普遍的人権主義と文化相対主義の間の線引き、優劣の付け方
  • 定量化できないものの価値(story-tellingの重要性)
  • 各セクター間のコラボレーションの重要性(連携した役割分担の必要性)
  • 若者(次世代)のイニシアチブに重きを置く海外諸国(その点日本は遅れている)
  • 政府とNGOの信頼関係がある海外諸国(日本はNGOの立場が非常に弱い)
  • 世の中的にはプラスなはたらきに見える活動にジェンダー問題は多く潜んでいる(オリンピック等のビッグイベントや経済活動等)
  • ジェンダーに関わる活動をしているほとんどが女性で、その上に立つ政府の官僚のほとんどは男性という力の関係性の見直し
  • "男女の平等”を目指すのではなく”acccess to the justiceの平等”を目指すべき(”平等”の定義をはき違える人が多い)

 :

と、このように多くの学びを得ました。

 

2週間という短い期間にもかかわらずかなり濃密な時間を過ごしたおかげで得たものは非常に多く、価値のあるものだったと感じています。

 

 

以上の各ポイントについては次回以降、深く触れていきたいと思っています。

 

 

そして、ここからが今日の本題。

 

今回の学びの中で私が特に大きく刺激を得たこと、

それは「数字で表せないものの価値」についてです。

 

CSWではstory-telingの重要性が語られ、本当に多くの一般化できない事例を耳にしました。

これまで自身が重要視してこなかったからこそ、非常に刺激を受けました。

 

そしてなぜ私がこの点に刺激を得たのか。

それは、私が現在活動している団体(マリモスト)の特徴にあります。

 

マリモストの最終的なゴールは「民族和解」です。

しかし、それは果たして数値化・定量化できるでしょうか?

 

皆さんもお分かりの通り、全てを定量化することは困難です。

 

マリモストのように「なにをもって民族和解が達成されたとするか。」

これは指標をもつのが非常に困難なテーマです。

 

このような場合、成果を表す際に数値化・定量化するのが困難なだけでなく、逆に数値化してしまうことで活動の価値を最大化できにくくなります。

 

そこで数値化できる成果よりも、個々のstoryにより活動の価値が生まれます。

 

数値化できない成果では、支持者やスポンサーがつきにくいのではないか?

と考えられる方も多いでしょう。

私も当初はそのように感じていたため、勝手に難しさを感じていた部分がありました。

 

なぜなら、私たちはまだ具体的な数値化できる成果を上げているわけではないためです。私たちが成果として主張しているのは、あくまでもステークホルダー個々のstoryです。

 

しかし、それでも時間を追うごとにマリモストの支持者は増え続けていると言え、それは活動の価値を感じている人が一定数いるということを表しています。

 

このようにたとえ数値化できる成果がないとしても、活動そのものや個々のstoryに価値を感じ支持してくれる人は十分にいます。

 

そして、この定量化できないものの価値については、国連などの国際組織でも、またビジネスの世界でも広く認められていることです。

 

ポストコンフリクトの国における統計調査ではディスカッションや訪問調査が用いられたり、企業のマーケティング調査でもユーザーとの座談会を用いたりしていますよね。

 

企業だけでなく国際協力の世界でも「数字が命」というような思考に陥ってしまうことは少なくありません。

しかし、必ずしも数字だけが全てではないということを頭に入れておくことはどんな分野に携わるうえでも大切だと思います。

(もちろん、適正は考慮されなければなりませんが。)

 

ということで、今回は数値化できないものの価値についてでした。

 

今後も数値化できるものはあるか吟味しながらも、storyに重きを置いて活動に励んでいきたいと思います。

 

 

それでは、また次回。

チャオ!