”サッカー×国際協力”を生業にしたい20代女子の挑戦記録

サッカーが大好きで、国際協力に関心のある20代女子の挑戦を書き連ねます。

私が暮らす”モスタル”という名の分断された街

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チャオ!さとみです。

 

現在、ボスニア・ヘルツェゴビナにあるモスタルという土地にて、スポーツを通じた和解を求めて活動しています。

 

今日は私が暮らすモスタルの紹介をします。

 

 観光地としてのモスタル

モスタルボスニア・ヘルツェゴビナ南西、アドリア海からも近い(車で2時間くらい)場所に位置しています。厳密には、モスタルは市名で、モスタル市はヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の首都です。県名にもある通りエメラルドグリーンに輝くネレトヴァ川が流れ、多くの山々に囲まれた自然の豊かな街です。

 

モスタルは日本人にはあまり知られていませんが、世界的にはとても有名な観光地です。5~9月の観光シーズン中はとんでもない数の観光客が街に溢れます。そのためモスタルは観光業によって成り立っている街とも言われています。だからなのか、観光客(外国人)にはとっても優しく接してくれます(笑)

 

観光客のお目当ては、やはり世界遺産に登録されている「スタリ・モスト」という橋です。

この橋は15世紀に建築、紛争当時に破壊、そして2004年に再建されました。このスタリ・モストの周辺はオールド・タウンと呼ばれる、旧市街が広がっています。こちらのオールド・タウンでは、古き良きオスマン帝国を感じることができるだけでなく、クロアチアセルビアの特色も入り混じった独特な雰囲気を楽しむことができます。

 

分断された街

モスタルは、国内でも珍しくはっきりと民族によって住む地域が“分断”されている街で、主にクロアチア系とムスリム系の人々で分かれています。その割合は、非公式レポートによれば約50:50とされています。(これが事実とされているが公式レポートとして真実を言えない理由があるのだそう)

 

彼らは紛争当時の旧国境を挟んで居住区が分かれています。今でこそ両地域を行き来する人々は多いですが、年齢層が上の人々は中々行き来することはありません。また、若者であっても特にこれといった理由(買い物や特別な場所に行くなど)が無ければ、わざわざそのラインを超えることがない印象を受けます。

そのためそれぞれの民族によって通うカフェやレストランも違っていて、いつもとは別の地域のお店に入ることに抵抗を感じる人も少ないようです。

彼らは互いに別々の言語を持っていると主張しますが、実際はほとんど同じで日本語の方言のようなもの。むしろ日本語における方言の違いの方が大きいかもしれません(笑)

それでも、彼らはその違いをはっきりと認識していて、その違いを意識しています。地元の人ならば一言話せば、違う言語を話すことに気づくので「どこから来たの?」という話になります。

その影響は子どもにも及んでいます。例えば私が「ボスニア語を勉強しています」といえば、「僕はボスニア語はわからないけどクロアチア語ならわかるよ」なんて返してきます。これは明らかに親や学校の先生の影響でしょう。

 

認め合うことの難しさ

私は「違うこと」そのものは悪いとは思いません。またそれを統一することも良いことだとは思いません。

しかしこの地域では「違いを認め、受け入れること」の重要性が語られていません。これは大問題だと思います。違いを持つ人のことを、まるで敵のように扱ってしまうことは決して良いこととは言えません。

 

しかしながら、この地域の歴史と現状を考えればその認識を育てるのはまだまだ難しいこともよく理解できます。以前の記事でも述べた通り、人々にはまだ時間が必要だと思うからです。たったの25年ほど前まで紛争の中、銃を取り互いを攻撃し合い、殺し合っていた中の人々が未だ社会の中で暮らす状況下で「仲直りしましょう」と言ってもそうは簡単にいきません。家族が誰に殺されたなどと知っている中で、その憎しみ・怒りを超えて手を取り合う難しさ。これは私には到底理解できない部分です。しかし、その大変さは想像することができます。

 

民族問題と政治の関係

さらに、民族問題には政治・社会問題が大きく関与していて、これも和解が中々進まない大きな理由の一つです。現在の国内の法律では、自分の出身民族の政党にしか投票できないシステムになっていたり、社会の中では汚職が日常的に行われていたりします。学歴がモノを言わず、人との繋がりが命。特定の政党に属していないと職が得られなかったり、違う政党に属しているからという理由で雇ってもらえなかったり….。平等なんてあったもんじゃありません。

 

またモスタル市では10年近く市議会が運営しておらず、選挙も行われていません。私は初めて「選挙がない」と聞いて、「選挙無くして民主主義と言えるのか?」と疑問ばかり抱いていました。しかし地元の人たちに話を聞いてみると、事情がわかってきました。現在のモスタルのように異なる民族が暮らす街で、選挙を行ってしまうと投票結果によって優劣がつくだけでなく、人々の中で民族意識が再認識され、再び争いになること可能性が大きい、というのです。

モスタルに来た当初、希望をもつ若者が少なく「この街は大丈夫なのか?」などと勝手に思っていた私でした。しかし、最近になって色々な事情が見えてきて、希望を失いかけている若者の気持ちも以前より理解することができるようになりました。

 

人々に必要なモノ

では、このような状況下で人々には何が必要でしょうか?

私は、必要以上に「民族を意識しないこと」が最善だと思います。街中には、未だにそれぞれの国旗が掲げられていたりしますが、これは次世代の教育にとっては本当に良くないことでしょう。なぜなら、その国旗を見るたびに人々は自分は何人であるかを意識してしまうからです。その意識が現状のような民族間の差異を意識することに繋がってしまうのでしょう。

 

 

「私が外国人だから」できること

そんな事情を理解してきた中で、ある時気づいたことがありました。それはいつも通り友達同士で集まって飲んだり語ったりしていた時の事。大抵、私の友達はそれぞれの友達を連れて集まります。そこでハッとしたのです。私や外国から来ている友達を通じて、別々の民族の若者が交流していることに。「これだ!」とその時思いました。なんの民族色もない外国人の私だからこそ、こうして違う民族の友達を集めることができます。大げさかもしれませんが、これは将来への大きな希望だと思いました。

そこで、まずはモスタル市内の留学生と繋がり、彼らと交流してイベント等を企画していきたいと考え、現在模索中です。私が帰国するまでに、まずは留学生同志が将来も繋がっていけるシステムをつくり、イベントを複数開催していきたいと思います。